嬉しいといらないの悲喜交交
投稿サイトにおけるコメントの話っす。もちろんハイパー独断と偏見混じってます。
まあこれはオリでも二次でも文章でもイラストでも全部が全部に言える事だと思うんですけど、
物を作り出すのって言うのはやっぱり、大なり小なり疲れる事だと思います。
そこで生まれた疲れって言うのは、心憎い事に「もうこんな事やめよう」と訴えかけてくるんですよ。
で、その言葉を聞き入れちゃうと1年2年と本当に何も作らなくなるっていう、いわば悪魔の囁きですね(笑)
だけど、ただ作らなくなるだけっていうのもまた寂しいもんです。
そう言う時、じゃあ何がやる気に火を点けて、その疲れを吹き飛ばしてくれるのかって聞かれれば、パッと浮かぶのが「誰かの感想」な訳です。内容にもよりますけど
時々、RTでも同じような内容が回ってきたりしますね。
でも、その「誰かの感想」ってのは必ずしもやる気が回復する事にイコールでは結びつかない、と思います。個人的に。
やる気は可燃物です。それが燃えている間はガンガン活動できます。
だけど、可燃物単体では火は点きません。そんな時、火を付けてくれるのが誰かの感想なんだと思ってます。
だけどこの感想っていうのもまた難しい話でして。
重要なのは、作者が意図した事を読んだ人は受け止めてくれたのかって所だけです。
例えばシチュエーションとか、ちょっとした言葉遊びとか。
工夫してるな、って所はその分だけ頭を捻っている訳ですから、その分だけ労われるとわかりやすく喜びます。俺だけかもしれん。
で、逆に言うと、そう言う所に触れられてない感想なんてクソの役にも立たないわけです。やっぱり俺だけかそう思うの。
「AB可愛い!」って言うだけ内容の物に対して「原作のCは不憫でしたね」って言う感想を送られても、
だからどうしたと思われるのが関の山んぼうでございます。
せめて、せめて少しだけでも書いた内容に触れて欲しいなって。
原作どうこうは大抵ブログがTwitterでやってると思いますし。
私は感想が選り好みできるような立場ではありませんが、
書いた物と関係ない感想を垂れ流されるのはそれはそれで苦痛なのですよ、
という事だけ重ねて申し上げたい。切に。
では最後に。
Q:おまえはそんなにえらいのか
A:私は物書き様である。なんじゃい貴様こそ図の高い!
※冗談です。